対談の記念写真

マエストロ、大使、当社役員が対談 音楽祭を振り返る

2024年08月14日 企業活動

7月5、6日に行われた音楽祭「カウナス城オペラ国際フェスティバル」。オペラを指揮した吉田裕史氏と公演を支えた在リトアニア日本国大使館の尾﨑哲大使、そしてスポンサーとして参加した当社執行役員でリトアニアの合弁会社DG DIMENSE取締役の繁野谷隆文の3人が対談しました。音楽祭を振り返り、日本とリトアニアのこれからについて語りました。(写真上=左から、尾﨑哲大使、吉田裕史氏、繁野谷隆文)
音楽祭の詳細はこちら
吉田裕史氏のインタビューはこちら

音楽祭を振り返って

司会:まず、お一人ずつリトアニアとの関わりや最近のご活動を聞かせください。

尾﨑大使
リトアニアに赴任して2年9カ月。今年は「カウナス城オペラ国際フェスティバル」と「歌の祭典」に集中してきました。そして今回の音楽祭で、日本とリトアニアをつなぐ大掛かりな文化交流に関わらせてもらえて大変光栄でした。マエストロ吉田さんと初めてお会いしたのは昨年6月、ローランド ディー.ジー.の方は10月。そこからの短期間にこれだけのことができたのは、本当に感謝するしかありません。

尾﨑哲大使

吉田氏
私は昨年、初めてリトアニアを訪れました。杉原千畝のミュージアム「スギハラハウス」(注)に案内もしていただきました。当時、ウクライナのオデッサ歌劇場から指揮の依頼を受けていて、迷っていました。でも、スギハラハウスのビザを書いた執務室の椅子に座らせていただいて、オデッサ歌劇場に行く決心がつきました。人の命という普遍的な価値を重んじてビザを書いた杉原と、音楽が必要とされている場所に行くという音楽家としての使命には、同じ意味があると思えたのです。

(注)第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していた外交官、杉原千畝。リトアニアのカウナスで、ナチス・ドイツが侵攻したポーランドから逃れてきた多くのユダヤ人にビザを発給し、日本経由の逃亡を手助けしました。カウナスにある領事館は現在、ミュージアムとして一般公開されています。

繁野谷
私が初めてリトアニアに来たのは2022年6月。合弁会社DG DIMENSEをつくるために訪問しました。昨年10月に会社を設立して、12月に赴任しました。その後、大使館から今回の音楽祭のお話や吉田さんがウクライナで演奏されたというお話をお聞きして、なんとしてもこの音楽祭に参画し、リトアニアと日本の交流に携わりたいと思いました。短期間でしたが、私も気持ちを入れさせていただいたイベントになりました。

日本人のアイデンティティ生かした公演に

音楽祭を終えられました。手応えやご感想をお聞かせください。

吉田氏
私は普段、オペラの本場イタリアで活動していますが、それに遜色のない公演ができたと思います。「蝶々夫人」は舞台が日本ですから、舞台上での所作や振舞いなど我々のアイデンティティを受け入れてもらえる演目です。出演者も日本人歌手に質問をするなどして、演目を通じた交流になります。コンテンツに音楽家たちが誘引されて、突き詰めていく過程がありました。
本番はオーケストラが非常に高い集中力で演奏できました。大作に挑めることやプッチーニの没後100年、このオペラで描かれている日本から音楽家が来て大使館なども参画している。とてもやりがいがある公演だったと言ってくださいました。本当に何よりもうれしいです。

吉田裕史氏

繁野谷
DG DIMENSEの社長も鑑賞したのですが、今まで見たオペラの中で一番良かった、感動したと言っていました。私の周りの人たちも感動して泣いていました。私は画面の字幕を読んでいたのですが、字幕を読んでいる感覚がないというか、ぐんぐんストーリーが入ってくる感じがあって、感動しました。

尾﨑大使
当初、カウナスの主催者側は「吉田さんにソリストを選んでもらえればいい」と言っていました。でも吉田さんは、今回の音楽祭を日本のソリストが世界に羽ばたく場にしたいと。それでオーディションをやるとおっしゃって。さらに歌のトレーニングもしないとだめだと。
大使館職員も、オーディションやトレーニングなんてやったことがないので、てんやわんやになりました。そういうことが思い出されて、本番が成功して本当に良かった。みんな「ブラボー」という感じでした。

  • 上田純子氏と林眞暎氏

    蝶々さん役の上田純子氏(左)とスズキ役の林眞暎氏(右)(撮影:Teodoras Biliūnas)

  • 井出司氏

    ゴロー役の井出司氏(撮影:Teodoras Biliūnas)

  • 友杉誠志氏

    ボンゾ役の友杉誠志氏(撮影:Teodoras Biliūnas)

  • 吉田裕史氏

    指揮者の吉田裕史氏(撮影:Teodoras Biliūnas)

吉田氏
今ジーンときています。全力でやってよかったなって。音楽のレベルが高いリトアニアの方にもそう言ってもらえて本当にうれしいですね。そういった意味では、指揮者として役割を果たせたかなと思います。

世界の舞台に立つ覚悟を

繁野谷
吉田さんのインタビューの中ですごく印象に残っている言葉が、日本人一般に言えるのは「ベストを尽くします、だけど必ずしも世界トップクラスではありません」という態度になってしまう、「やる以上は世界のトップクラスのものをお見せする気持ちでやってもらわないと困る」というもの。ローランド ディー.ジー.も売り上げの9割は海外なので、海外と対等にやり合わないといけない。なので、吉田さんのその言葉はすっと入ってきました。こういう考えでやらないと、やっぱり世界で通用しないのだと。

吉田氏
いつも後輩たちに言っているのは、まさにこういうことです。オペラはイタリアが本場ですから圧倒されてしまうのですが、「舞台に立ったら対等だと思いなさい。そうじゃないと実力が出ないぞ」と言ってきました。舞台に出るときには「今日は私の世界最高の歌を存分にお楽しみください」と言わなければお客さんに失礼だろうと、ずっと言ってきました。

繁野谷
ビジネスもまったく一緒、通じることですね。我々も世界に出ていく会社ですので、すごく学ぶことの多い深い言葉だと思いますね。

尾﨑大使
そういう意味では、ローランド ディー.ジー.は世界で戦っているわけですから。「世界の創造(ワクワク)をデザインする」というパーパスを持った会社がリトアニアで合弁会社を立ち上げられたことが、今回のオペラプロジェクトにおける吉田さんの志とも合致し、すごい偶然で素晴らしいと思います。

DG DIMENSE取締役 繁野谷隆文

リトアニアとの架け橋つくる

今回の音楽祭は、日本とリトアニアの関係を深める場になったということでしょうか。

尾﨑大使
リトアニアは非抵抗を徹底した「歌う革命」でソ連から独立しています。そういう国で、今回のような音楽を通じた架け橋ができ、本当に素晴らしいです。さらに、日本のソリストや指揮者に来ていただいたりして、日本とリトアニアの共同でできたのは、ものすごく良いですね。

吉田氏
今回の音楽祭で双方向の橋が架かったのかなという気がします。今後は日本でもリトアニアや杉原千畝のことをもっと知ってほしい。修学旅行などで来るべき場所だと思いますね。

尾﨑大使
全国の学校から来てほしいですね。

吉田氏
来る価値があります。スギハラハウスでは「音楽を通じてできることはやりたい、困っている人がいたら助けたい」と思いましたからね。それが自分の使命であり、音楽がそういう役割を果たせるのは間違いないです。そして、もっとお互いに知っていただきたいと思います。

繁野谷
私はビジネスの面で、リトアニアと日本で共同開発や販売を進めています。両国の技術が融合して、世界にワクワクや驚きや感動を提供できると思いますので、そういった部分で広げていきたいなと考えています。
スギハラハウスの壁の装飾も、ローランド ディー.ジー.とDG DIMENSEの技術を使ってリノベーションさせていただく予定です。少しずつですが、両国の架け橋になれるようにやっていきたいと思います。

リトアニアのことを日本人にもっと知ってほしい

日本とリトアニアの関係をより深めるには何が必要でしょうか。

尾﨑大使
リトアニアでは親日感情が高く、日本に旅行でもよく行っています。そのため、日本の人がリトアニアを知っている量とリトアニアの人が日本を知っている量はとても違う。日本人がまだリトアニアのことをあまり知らないんですよ。実際に来てもっと知ってほしいです。
日本人がここに来ると、日本の歴史も振り返る、いい気づきを得られます。そういうふうにリトアニアを活用してほしいと思いましたね。

吉田氏
音楽祭終演後にたくさんサインを求められました。日本語で「こんにちは」「一緒に写真撮ってください」と話しかけられました。日本への関心が高く、日本語を真剣に学んでいる。
なので日本人はリトアニアをもっと大切にした方がいい。そして、いろいろなことを一緒にやっていける国だと思います。音楽家としては、音楽の力で交流したいと思いますね。

繁野谷
お二人がおっしゃるように、リトアニアの方は日本のことをよく知っていますし、旅行にも行っています。でもリトアニアではアジア人とまず会わない。なのでまずは、ヨーロッパ出張に来る社員にリトアニアにも立ち寄るよう呼び掛けて、リトアニアの良さを伝えています。そういう形で微力ながら貢献できたらと思います。

お忙しい中ありがとうございました。

対談の様子